幼少期の私の不思議な体験
幼少期の私は、極度の人見知りでした。
人が怖い、新しい場所に行くのが怖い。
体が固まってしまい話すことができませんでした。
今でいう「場面緘黙症」「不安症」という症状だったと思います。
そんな私は、大勢で遊ぶことが好きではなく、いつも特定の友達と1対1で遊ぶということが多かったです。
そして一人の時間が居心地が良い。
一人で空想に浸ったり、家の中で日が当たる場所で、風がカーテンに揺れる様子や太陽の光が自分に当たる様子を心地よく、幸せに感じていました。
よく心の中で対話をしていました。
対話というか感じ取った言葉と会話しているという感じです。
いったい誰と会話をしていたのかはわかりませんが、感じていたのです。
太陽の光や風と会話をして心の豊かさを感じていました。
幼少期の時に記憶に残っている不思議な体験があります。
私の中にもう一人の私がよく話しかけてくることに気づきました。
今でいう「エゴ」の声でした。私はその声の事を「悪魔」だと思っていました。
(本当に悪魔が話しかけていたのかも(^-^;)
私がしたいなと思うことに対して、悪魔が色々と私に否定的な事を言ってくるのです。
私はそんな悪魔の言葉に対して、「うるさい!黙れ!お前の言うことは聞かない」
「お前がそこにいるのはわかっている」「私の中から出ていけ!」など言っていました。
そんな悪魔の声に意識を向けながら、悪魔の声に従わず、頭の中から聞こえてくる言葉を無視し、思考をできるだけ停止するようにしていました。
そうしたら、あるとき私の心からものすごい量の喜びがあふれだしてきました。
この感情を何と表現したらいいのかわからないのですが、幸せ、豊かさ、喜び、愛
そのような感情が私の心からぶわ~っと光線のように飛び出してきて、苦しすぎるほどだったのを覚えています。
その感情を、世界中の人に分け与えたいと心から思い、天に解き放ちました。
そのときの感覚は、今では忘れてしまいましたが、とてもとても至福な瞬間でした。
それから、私の心はその感情を何度も感じたくて自分でコントロールすることができるようになりました。
ある日の学校の下校時、その喜びの感情が心の底から湧いてきて、友達の方を向いていると、その子が「micoちゃんの体が光った」と言ったのです。
私は、光ったと言われたことに対して、そりゃあそうでしょうと思う気持ちがありましたが友達に対して、「あまり前でしょ」いったところで変に思わるだけだと思い
太陽が反射したんだよ!とごまかしました。
私は当時、この感情が光を放つことを感覚として理解していて、私の中では当然のことだと理解していました。
誰かから聞いた知識でも、本で見たおとぎ話でもありません。
人の感情が光を放つことを子供ながらに理解していたのだと思います。
私は空が飛びたいと強く思えば空が飛べると思っていたし、ある特定の場所に移動したいとその場所を強く思い描けば瞬間移動できるのではないかと思っていました。
だけど、どんなに強く思っても空は飛べず、特定の場所を思い描いて念を送っても移動できるはずもなく。
だけどこんなことを本気で思えばできると信じている子でした。
どうしてそんなことができると思っていたのか、不思議です。
私と同じような経験をしたことがある方、子供のころ思っていたことがある人はこの世界にどのくらいいるんだろう。
そんな人たちと繋がれたら嬉しいなと思います☺
mico